富岡・梅花亭 深川店「江戸時代のどら焼」

グルメ

嘉永3年(1850年)創業、本店は霊岸島。独創的な和菓子が並ぶ老舗。

梅花亭 深川店(富岡1-13-10)
江戸時代のどら焼(280円)

最近、高島屋の和菓子バイヤー畑主税氏のポストに多大な影響を受けていて、

単なる好奇心で江東区の和菓子について調べていたところ、ある文献に「『どら焼』は梅花亭が発祥である」というくだりを見つけました。本店は大伝馬町で創業し、現在は霊岸島にありますが、門前仲町には深川店(富岡1-13-10)があり、一応江東区関連です。ということは、南砂一丁目案件でございます(やや強引)。

よくよく調べると、確かに「どら焼」の元祖は梅花亭の二代目が明治時代に創出した「銅鑼焼」が始まりらしいのですが、おそらく皆が想像する現代的な厚い二枚の皮で餡をはさむ「どら焼」(ドラえもんに出てくるヤツですね)は、東京上野のうさぎ屋で販売された「編笠焼」が始まりとのことです。なので、梅花亭の表裏一体化した薄皮に餡がはさまれたどら焼には「通常とは形が異なる」という表現が使われることが多いです。通常とは何か。さらにややこしいことに、お店の木札にはマジックの手書きで「江戸時代のどら焼」と書かれています。実は「銅鑼焼」の前に原型となる「助惣(すけそう)焼き」が作られており、その形状は1枚の薄皮で餡を包んだ四角いものだったそうです。

梅花亭の二代目は、当時の江戸幕府御座船に積まれた「銅鑼」の形を参考にして、四角い「助惣(すけそう)焼き」を丸くしたのでは、という話もありますが定かではありません。

「助惣焼き」→「銅鑼焼」の流れはなんとなく理解できますが、では、梅花亭が「どら焼」の元祖であると我々が認識していなかったのは何故かというと、いつ頃からか不明ですが、梅花亭では長い間どら焼きが製造されておらず、平成10年(1998年)にようやく復刻されて「元祖どら焼」が陽の目を見た、ということらしいです。このあたり、当時、自分がうさぎ屋さんのどら焼きを購入していたとき、誰かから聞いた記憶がうっすらあり、特にそのときには元祖本家争い的なイメージは無く、選択肢としてそこにそれらがある、という平和的雰囲気だったのを憶えています。

こちらが、梅花亭さんの「どら焼」です。手土産として持って行くときには「これがどら焼の元祖なんだぜ!」と蘊蓄を披露できます。薄皮からうっすらと見える粒餡がとてもセクシーですね。

どら焼
明治のはじめ、当店二代目が銅鑼の形から生み出したどら焼が、平成十年再び世に表はれ、皆様からご愛顧を賜り誠に有難く存じております。何卒ご賞味下さいませ。
嘉永三年創業 梅花亭

さて、さらに梅花亭さんを掘っていきましょう。

梅花亭さんの「どら焼」には「三笠山」という姉妹品があります。明治時代、当時外務大臣であった大隈重信公が、国内で流通する菓子がどんどん欧米化していく風潮を憂い、和菓子も進歩するべき、として新時代に向けた和菓子製造を奨励しました。そのときに梅花亭で生まれたのが「三笠山」です。これも梅花亭二代目の作品で、奈良の若草山を想って青えんどう豆の餡を使ったそうです。外観が三笠山に似ていることから、常連客だった九代目市川團十郞が「三笠山」と名付けたもので、特に西日本で生まれたものではありません。また、「どら焼」と「三笠山」の境界線には曖昧なところがあり、文明堂の「三笠山」は、ある「どら焼」に付けられた名前となっていたりします。

梅花亭の「三笠山」がこちらです。

焼印の形は、本店によると「六」ではなく「笠」という文字とのこと。これはなんだろう?と色々逡巡し、三笠山→阿倍仲麻呂つながりで、ニ隻の遣唐使船が空に浮かんだ月に船首を向けていて月は涙で滲んで見えているのかな、などと深読みしていたので、少し拍子抜けでした。そんな重苦しい焼き印はしないか。

さて、一気に時を江戸時代まで戻します。嘉永六年、初代森田清兵衛当主が蘭学者から「西洋人は焼き菓子を好んで食べる」という話を聞き、「亜墨利加饅頭(あめりかまんじゅう)」を生み出しました。さらに、森田清兵衛当主、なんと独自ルートでパン釜を入手して、初めてパン釜で和菓子を焼いた人物となりました。老舗、名店の初代は途方もなく莫大なエネルギーの塊ですね。

「亜墨利加饅頭」は、白餡を薄皮で包み、卵黄を塗ってクルミを乗せて焼いた和菓子で、栗まんじゅうの元祖であるとも言われています。大変おいしくて鼻に抜ける風味がすばらしい。170年前に考案されたとは思えないハイカラさ。

今度は、一気に時を昭和に進めます。美術愛好家だった六代目の中村達三郎当主が完成させたのが、黒餡を皮で包み、メレンゲでコーティングして鮮やかな砂糖菓子をトッピングした「佛蘭西饅頭(ふらんすまんじゅう)」と、ふっくら最中の皮に三色の餡を包んだ「梅もなか」。

この「佛蘭西饅頭」、和菓子の枠からかなり逸脱しためちゃウマなブツです。食感も楽しく「亜墨利加饅頭」とはまた違う外国風味が素晴らしい。このビジュアル、昭和のときのおフランスのイメージそのままです。すごい。こちらもたいへんオススメ。

お店の奥にはイートインスペースもあり、平日はお茶と和菓子が楽しめるようです。行った日はお店番の方がひとりで、奥は営業していませんでした。次は必ず。

店内には歴史を感じさせる木製看板や「東都のれん會」の銘板(原板とのこと)が飾ってあります。あの、実はこの銘板についても少しだけ面白い話があるのですが、またの機会に。

梅花亭 深川店(富岡1-13-10)は、深川不動尊の仲見世通りにあります。お近くにいらしたときは是非、お立ち寄りください。